「引きこもりKの戦い」について(作者より)


 

 昔は、写真なんてめったに撮らなかったから、自分の高校とか大学の頃の写真といっても、ほとんどなくて、合わせても10枚くらいしかない。だから何もない普段のこと、何でもない大学生活のようすは写真にはない。最近は、スマホでどんどん写真を撮る。で、撮った写真をみると、やっぱり、何かちょっとしたことがあった時のことで、何もない普段のようすは写真には入っていない。でも、人生のほとんどは、何でもない時で、実は、そんな何でもない時こそが本当は一番大事な時なんじゃないかと、思い始めて、で、最近は、できるだけ、何でもない写真を撮るように心がけたりしている。

 瀬尾育生という詩人の「Deep Purple」という詩集の中の言葉に「たいせつなのは語ってはならない何かを語ることではなく、語らなければならない何かを語らないこと、あるいはひときわ小さな声で語ることだ」「それらのものを記憶するために、わたしはとても小さな声で語りつづける」というような言葉がある。

 引きこもることは、毎日何もせずにすごしていくことではないが、引きこもっていると、心の中の多くのものが、何でもないこと、意味がなかったこととして、消えていくのではないか。忘れ去られて、消えていくものを、「ひときわ小さな声で語りつづける」ことをこの劇の中で表現できたらと思う。「それらのものを記憶する」ために。